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マリア この街じゃ 例え誰かが死んでも ほんの少し電車が遅れるだけ
これとある歌の歌詞ですが。
事故とか事件とか自殺とか、人の死が絡むニュースを見ると、いつもこのフレーズが頭をよぎります。
特に自殺かな。
ものすごくやるせない気持ちになる。
今も、一人の若い女性の死がネットを中心に世間を賑わせています。
いじめ自殺もそうだけど、悲惨なニュースは視聴者の関心を集めやすくて、SNSを中心にすぐに盛り上がる。
有り得ない、ひどい、あってはならない、信じられない、二度と見たくない、大抵が被害者に同情的で、死に追いやったものを責める声で、この死を無駄にしないように世の中を変えていかなくちゃ…っていう流れになる。
だけど、実際には何も変わらない事がほとんどなんですよね。
この件に関するネット上の声の一つに、「どうせ1週間もすればみんな忘れる」ってあった。
私は悲しいけど、こっちが真実だと思います。
センセーショナルなニュースなんて毎日毎時間上書きされて、自分に直接関係のない人間の死というものは、すぐに情報の波に埋もれてしまうんですよね。
話変わりますけど、韓国に「トガニ法」と呼ばれる法律があります。
興味ある方は調べてみると良いと思うんですが(ただし、この法律ができた背景にはかなり悲惨な事件の存在があるので、詳細を知るには心の準備が必要です。)
世論が法律を動かした好例だと思います。
韓国の劇場的な国民性は、批判される事も多いけれど、感情を向ける方向性を間違えなければ、世の中を良い方へ変える事もある。
事なかれ主義な日本人は、見習わなければならない部分もあるのかもしれません。
でまぁ、色々脱線しましたが。
私がこういったニュースに触れて何を思うかっていうと、自分の子供たちには、どんなにつらいことがあっても、自殺だけはしてほしくないな、って事です。
そのためには、たくさんの受容と共感で、彼らの自己肯定感と自尊感情を高める事、家族間の信頼関係を強める事が何より必要だと思うのですが。
最近の私は全く出来ていない。
反省しきりです。
あと、これは私の持論なので反発もあろうと思うのですが。
子供が自殺してしまうとき、その親の責任というのは相当大きいと思う。
同じ境遇でも、死を選ぶ人とそうでない人がいるのには、生い立ちというのが深く関わっているはずなので。
もちろん、他人を死に追いやるほどの人格否定も誹謗中傷が絶対悪であることは大前提として。
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