自分を表現できる人

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昔、まだスマホやタブレットが今ほど普及していなくて携帯サイトが全盛期だった頃。

私は結構なオタクでした。

でも、創作活動はそんなにしてなくて、サイトを巡って作家さんと仲良くなって、ネット上で交流したり一緒に遊びに行ったりイベントお手伝いしたり。

 

素人とはいえ、絵も文章も、最近のライトノベルとかに比べればずっと質の高いものがたくさんあって、それを生み出せる人たちに憧れていました。

でも、自分の実力が伴わない事に引け目を感じて、あとは大人になって忙しくなったのもあって、そういう世界からはだんだん遠ざかって行きました。

 

今はほとんど閉鎖されてサイトは残っていないけど、今でもふと思い出したり、また読みたいなぁって思う作品が沢山あります。

その頃使ってたPC壊れちゃったからサイトアドレスとか分かんないんですよね。

アーカイブ検索もできない。悲しい。

 

もっと前の中学生とか小学生の頃、絵の上手い子に憧れていました。

すでにこの頃からオタクの片鱗はあって、BL小説も買うし、同人誌即売会に足しげく通っていました。

東京までは一度も行ったことないのが心残り。

この頃ってもう20年近く前の話なんですけど、今ほどオタクは市民権を得ていなくて、ましてや腐女子なんて一般に浸透している単語では全然なくて。

その手の小説って、街の大きな本屋さんに行かないとなかったんですよね。

大きなビルの2フロア分くらい占めるような書店でも、隅っこに隠すように置かれていて、好きな作家さんの新刊が出るたび、電車に乗って探しに行きました。

田舎住みの10代前半の少女にはちょっとした冒険でした。今ではいい思い出です。

 

今は何でもオープンだし、欲しいものはネットですぐ手に入っちゃいますもんね。

便利にはなったけど、今の子ども達はああいう高揚感とかちょっとした背徳感とか達成感とか、味わうことはないんだろうなぁ。

 

なんでこんな話をしたかと言うと、子育ての話につながるんですけどね。

うそやん!って感じですが。

 

別に、娘を立派な腐女子に育て上げてオタク同士趣味を共有したい、とかではなくてですね。

 

私は昔から、創作者って言うものに憧れていたんです。

自分の頭にあるものを、形に出来る人。

ゼロから何かを生み出せる人。

それを堂々と公開して、周囲に感動や喜びを与えられる人。

 

私もなりたいって憧れ続けて、結局なれないまま大人になりました。

 

その延長で、今はメーカーに勤めています。

就職先も、何かを作る会社がいいって決めて就活してました。

 

なんでなのかなぁ、って思っていたんです。

この苦しいくらいの憧憬の正体はなんだろうって。

 

どうしてやりたいのに自分は出来ないんだろう。

下手くそだから?

もっとうまい人が沢山いるから?

時間がないから。向いてないから。

でも、そもそも意欲がわかないのはどうしてだろう。

 

技術の問題ではなくて、自分の作品を誰かに見せるのが怖い、他の人みたいに堂々と人目にさらして評価されて、どんどんレベルアップして。

そういう事を想像するととても怖くて、誰にも見られない自分のスケッチブックに殴り描くのが精一杯だった。

 

これはおそらく、私の自己肯定感の低さに原因があると気付きました。

 

私のブログにしょっちゅう出て来る「自己肯定感」と言う単語。

近年の、過保護・過干渉に偏った子育てのキーワードの様です。

 

念のために言っとくと、私は今の自分のダメな部分を全て親のせいにしたいと言うわけではありません。

自己肯定感が低かったのはいまや過去の話ですし。

今の自分の事は好きだし、自分で自分を肯定することも出来るようになりました。

 

 

ただ、自身で向き合って乗り越えるまでずっと抱え続けていた生き辛さの正体を分析したいだけなのです。

子どもに同じことをしない為に。

 

幼いころ、自分を全面的に受け入れられた経験のない子供は、自分を表現出来なくなっていくそうです。

正しいことを求められ、条件付きの肯定しかもらえず、何かが出来ない自分に価値はない、間違えたら周囲の評価が下がる、そうなれば自分の居場所はなくなる。

そういう思いが募ると、どんどん消極的な性格になり、何かに挑戦する事も、自分を表現する事も、人と会話することすら怖くなっていくそうです。

 

思い当たる事があります。

 

人前で歌うのが、小さいころから泣くほど嫌いだった。

返却されたテストの点を確認する事が、異常な程怖かった。

自分の描いたものは、絵であれ字であれ極力見られたくなかった。

何かを聞かれても、間違えるのが怖くて黙り込んだ。

自由にやってと言われると途方に暮れた。

失敗をすると謝るのが怖くて泣くばかりだった。

 

数え上げればきりがありません。

 

私は、「素晴らしい作品を生み出す人」に憧れていたのではなく、「失敗を恐れず果敢に挑戦し、堂々と自分自身を表現できる人」になりたかったのです。

 

そして、それを可能にするのは幼少期の親から与えられる、存在そのものへの受容と肯定なのです。

 

だから、私は娘のありのままを肯定し、愛したいと考えています。

何かが出来るから、ではなくて、そのままのあなたが大切なのよ、と事あるごとに伝えているつもりです。

しかし、否定したり傷つけたりしてしまう事もしばしばで、実行するのは中々難しくはあるのですが。

 

今、娘は歌ったり踊ったりお喋りしたり、とても明るく陽気な子です。

悪い事をしたら、素直にごめんなさい、と言えます。

これ、幼児期にはとても重要な事だそうです。

歌や踊りやお喋りは、子どもにとっての大切な自己表現。

自己否定感の強い子は、さらに否定される事を恐れるから、失敗を認めて謝れない傾向にあるとか。

 

子どもの存在そのものを全面肯定出来ていたら、子育てはほとんど成功だ、と聞いたことがあります。

何が出来ても出来なくても、自分の存在そのものに価値があると信じて欲しい。

そしてそれを心から伝えてあげられるのは親だけですよね。

 

結局はその土台があってこそ、何かに意欲的に取り組んだり、失敗した時自分を励まし立ち上がったりする力が生まれると思うのです。

 

昔読んだマンガに「学校のテストの点が悪いから、自分は数学が苦手だと思い込んでいる。そんな数字ごときでお前の価値は決まらない」みたいなセリフがありました。

(相当うろ覚えなのでニュアンスだけしかあってないと思いますが)

 

まさにこういう事だと思うんですよ。

他人に何と言われようと、自分が好きでやりたいと思うならやればいいんですよね。

その方が絶対人生楽しいし、充実しますもん。

 

自分の子どもには、そういう風に自然と思える人間に育ってほしいんです。

私の様に、周りの目を気にして苦しい思いをしてほしくないのです。

 

失敗しない躓かない子、正しい事をする子じゃなくて、失敗しても自力で起き上がれる子、間違っても素直に認めて反省しやり直せる子、になって欲しい。

 

私にとってそれを象徴するのが、記事タイトルにある「自分を表現出来る人」って事になるのかな、と思います。

 

 

 

 

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